天地之词

(重定向自天地之歌

天地之词》(日语:天地の詞)是日本平安时代初期出现的,包括当时的全部48个清音假名的词句。天地之词是类似于伊呂波歌全假名句,也是平安时代早期仍存在(あ行え)与𛀁(や行え)区别的证据之一。[1][2]

天地之歌

天地之歌》(日语:天地の歌)是以《天地之词》为第一个假名和最后一个假名的一组48首的和歌,见于日本平安时代中期的歌人源顺创作的和歌集《源顺集》中。源顺创作的和歌最先的四首如下:[3]


らさじと打ち返すらし を山田の苗代水にぬれて作る
も春に雪間も青くなりにけり 今こそ野辺に若菜摘みて
くば山 咲ける桜の匂ひをば 入りて折らねどよそながら見
ぐさにもほころぶ花の繁きかな いづら青柳 縫ひし糸す

类似这样,分为春·夏·秋·冬·思·恋6部分,每部分各8首,总计48首和歌。

同时代的女歌人相模也创作过天地之歌,但歌集中只流传下来了春·夏·冬各四首,总计12首和歌。[4] 源顺自述在其之前,最早创作四十八首天地之歌的是歌人藤原有忠朝臣藤六,但藤六之诗现已全部亡佚。

若从源顺的天地之歌中取出首个假名,即得到天地之词:

あめ つち ほし そら(
やま かは みね たに ()
くも きり むろ こけ ()
ひと いぬ うへ すゑ ()
ゆわ さる おふせよ ()
えのえを なれゐて ()

や行え

天地之词中存在着两个え,而作为全假名句,两者应有一定的区别,否则没有保留两个相同假名的必要性。虽然现代日语中い与、え与、お与已经完全混同,但中世日语中是存在发音上的区别的。而关于更早的日语是否也合并了音素这一问题,桥本进吉通过对万叶假名上代特殊假名遣的研究发现, 的万叶假名是分为两种的。

前者使用衣、依、愛、哀、埃等万叶假名,用于蝦夷えぞ等词中。而后者使用延、要、曳、江等万叶假名,用于ふえぬえ等词中。通过进一步分析,桥本认为两种并非是甲乙类的区别,而是(あ行え)与𛀁(や行え)的区别。而天地之词则是这一区别存在的直接证据。[5]

小松英雄认为根据天地之词推测,在相似时期创作的、同为全假名句的伊吕波歌大为尔之歌在创作时也是48个假名,而在语言演变的过程中,え与𛀁合并,造成え的重复而最终其中之一脱落。[1] 小松推测其本来形式为:

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこ𛀁て あさきゆめみし ゑひもせす

たゐにいて なつむわれをそ きみめすと あさりひゆく

やましろの うちゑへるこら もはほせよ えふねかけぬ𛀁

解读

天地之词的前36个假名是两音节的名词,从形式上模仿了千字文

あめ つち ほし そら

やま かは みね たに

くも きり むろ こけ

ひと いぬ うへ すゑ

硫黄ゆわ[A] さる

而後12个假名则解读不一。大矢透的解读为:[6]

𛀁

中田祝夫则认为其为“よ 良箆𛀁の愛男えを なれゐて”。马渊和夫以罕见词过多的缘故,把此方案的“良箆”一词改为“江野𛀁の”,“偃”改为“て”。

影响

在10世纪半成书的《宇津保物语》的“国让上”一卷中,提到以“あめつちそ”等用于习字[7]南北朝时代的《古今集序注》中也提到了当时有人认为伊呂波歌的佛教成分较重,而使用天地之词习字。

備註

  1. ^ 和名类聚抄中硫黄一项为“和名、由乃阿和ゆのあわ、俗云、由王ゆわう”。

參考資料

  1. ^ 1.0 1.1 小松英雄. 《いろはうた》. 中公新書. 1979 (日语). 
  2. ^ 亀井孝. 《「あめつち」の誕生のはなし》. 国語と国文学. 1960.5 (日语). 
  3. ^ 桥本不美男编. 《源順集》(《御所本三十六人集》23)(影印本). 新典社. 1970 (日语). 
  4. ^ 続群書類従完成会. 《相模集》(《群書類従》第十五輯和歌部). 1960 (日语). 
  5. ^ 橋本進吉. 《古代国語の音韻に就いて》. 岩波文庫. 1980 (日语). 
  6. ^ 大矢透. 《音図及手習詞歌考》. 勉誠社. 1969 (日语). 
  7. ^ 河野多麻校注. 《宇津保物語 三》(《日本古典文学大系》 12). 岩波書店. 1908 (日语).