小倉信近

小倉信近(日语:小倉 信近おぐら のぶちか Ogura Nobuchika,1849年5月14日—1926年10月1日[1][2])是日本明治时代的政治人物官僚,曾任众议院议员、官选县知事日语都道府県知事

小倉信近

经历

小倉信近出身于出羽国南置賜郡日语南置賜郡米泽上花泽中町的米泽藩士家庭。[1]明治五年(1872年)成为海军少尉[3],1876年任爱知县三等警部[3]。此后历任石川县警察部日语石川県警察部部长、德島縣警察部日语徳島県警察部部长、青森縣警察部日语青森県警察部部长、检事警视厅警视、警视总监官房第一部长等职务[4]

1896年4月就任福岛县知事,同年12月卸任。1897年6月14日任台湾嘉义县长[5],1898年3月15日卸任[6]

1898年8月,代表宪政党日语憲政党参加第6屆眾議院議員總選舉日语第6回衆議院議員総選挙,当选山形县第二区议员。[2]任期结束前于1900年11月12日辞去职务[7]

1900年2月任三重县知事。同年10月改任群马县知事,任至1901年4月2日;并任司法省日语司法省 (日本)官房日语官房[8],同年6月5日因病辞职[9][10]

此后被控在教科書疑獄事件日语教科書疑獄事件中犯贿赂罪,被判处监禁2个月[11],并因此被勒令交还從四位、褫夺勋四等明治二十七八年從軍勳章日语従軍記章[12]

荣誉

脚注

  1. ^ 1.0 1.1 『新編日本の歴代知事』608頁。
  2. ^ 2.0 2.1 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』108頁。
  3. ^ 3.0 3.1 『新編日本の歴代知事』213頁。
  4. ^ 「警視小倉信近外一名官等陞叙ノ件」
  5. ^ 『官報』第4184号、明治30年6月15日。
  6. ^ 『官報』第4408号、明治31年3月16日。
  7. ^ 『官報』第5211号、明治33年11月13日。
  8. ^ 『官報』第5322号、明治34年4月4日。
  9. ^ 「司法省官房長小倉信近依願免本官ノ件」
  10. ^ 『官報』第5376号、明治34年6月6日。
  11. ^ 『日本政治裁判史録』351-378頁
  12. ^ 官報 1904年5月09日 二一九頁. [2023年4月12日]. (原始内容存档于2023年2月28日). 

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 内閣「警視小倉信近外一名官等陞叙ノ件」明治28年。國立公文書館 請求番号: 本館-2A-018-00・任B00058100
  • 内閣「司法省官房長小倉信近依願免本官ノ件」明治34年。國立公文書館 請求番号: 本館-2A-018-00・任B00266100
  • 宮地正人日语宮地正人「教科書疑獄事件」、我妻荣編『日本政治裁判史録 明治・後』第一法規出版日语第一法規、1969年。