新高製菓

新高製菓(にいたかせいか)是台灣日治時代,本社設在台北市本町的製菓會社。創業者是佐賀縣北山村(現・佐賀市富士町)出身的菓子商森平太郎。以新高水果糖、香蕉糖而有名,戰前,和森永製菓明治製菓並稱三大菓子商[1]

歷史

1902年(明治35年),森平太郎渡台,在台北開設「一六軒」,販賣饅頭。1905年(明治38年),創立「新高製菓」[2]。以台灣的最高峰新高山(現・玉山)為會社名。販賣牛奶糖水果糖等多樣的和洋菓子,在台灣獲得成功後,1923年(大正12年),進軍日本內地。1928年(昭和3年),成為日本最初期的國產口香糖製造商[3]。1931年(昭和6年),帶動泡泡糖的販賣熱潮。戰後,在台資產被國民政府接收,日本內地的部分雖繼續經營,但是,1965年(昭和40年),因經營不振而停業[4]

其他

  • 創業者森平太郎夫妻是作家北方謙三的曾祖父母。北方以曾祖父母為原型創作小說『望鄉之道』。

脚注

  1. ^ 江戸時代の砂糖食文化 ~長崎警備とシュガーロード~页面存档备份,存于互联网档案馆) 独立行政法人農畜産業振興機構
  2. ^ 2011年10月07日付けの西日本新聞朝刊。
  3. ^ 日本チューインガム協会. [2023-01-07]. (原始内容存档于2019-07-10). 
  4. ^ 新高キャラメルの正体とは? ~ある男の激動の人生~ ビーバップハイヒール 2019年5月2日放送