使用者:JuneAugust/伊號第五二潛水艦
伊號第五二潛水艦(いごうだいごじゅうにせんすいかん)是大日本帝國海軍的一艘潛水艇。伊五二型潛水艦(丙型改潛水艦)的1號艦,也是繼承艦名的第二代軍艦,德國派遣潛水艇行動中的最後一艘(第5艘)。
初代伊52については伊號第一五二潛水艦を參照のこと。
艦歷
- 1941年(昭和16年)のマル追計畫で建造が計畫され、
- 1942年(昭和17年)3月18日 在吳海軍工廠開工建造
- 11月10日 下水
- 1943年(昭和18年)12月28日 竣工。同日編入第6艦隊第11潛水戰隊進行訓練任務。
- 1944年(昭和19年)3月10日 編入第8潛水隊,同日從吳港出港。
- 3月21日 到達新加坡。在此裝載了大量貨物上艇。
- 3月23日 作為第5艘派遣往納粹德國的潛水艦,從新加坡出港。
- 5月20日 繞過好望角進入大西洋。この頃、ドイツ側の提案で危険海域に突入したイ52の位置をかく亂させる為ニセの情報の無電が発進されたがアメリカ軍はこの無線も傍受解読し計略の全てをつかんでいた。
- 6月1日 頃、イ52は赤道付近を北上
- 6月4日 北半球に出た。
- 6月8日 ドイツベルリンよりレーダー逆探知裝置受け渡しの為6月21日午後9時15分に北緯15度、西経40度の海域でドイツ潛水艦と會合せよとの無線命令が入る、これが運命の分かれ道となった。アメリカはこの情報を傍受し攻撃部隊を現場に派遣する。護衛空母ボーグはスペインの海域より一気に南下、2隻の潛水艦が現れる海域に急行する。
- 6月22日 イ52は合流地點に到着、ドイツ潛水艦U530と合流に成功したのは23日午後8時20分であった。この時ドイツ潛水艦より連絡將校が乗艦。同日午後11時20分に護衛空母ボーグを飛び立ったアベンジャー雷撃機より最初の攻撃を受ける。
- 6月24日 午前1時に第二派攻撃を受けて北緯15度16分、西経39度55分の地點に沈沒。
- 8月2日 確認在大西洋方面喪失
- 12月10日 除籍。乗員106名、便乗者9名全員戰死。
艦體の発見とその後
大量の金塊が積載されていたいう記録から近年トレジャーハンターにより沈沒位置が特定され船體も発見された。そして遺品や積荷のごく一部が引き上げられたが金塊は発見されず、水深5,000mもの深海であることから資金がかかり過ぎるので、それ以上の調査と金塊の引き上げは斷念された。遺品は日本に送られたとのこと。[1]
歴代艦長
- 艤裝員長
- 宇野亀雄中佐(1943年11月15日 - )
- 艦長
- 宇野亀雄中佐(1943年12月28日 - )
腳註
參考文獻
- 新延明、佐藤仁志《消えた潛水艦イ52》(日本放送出版協會、1997年) ISBN 4-14-080307-X
- 「丸」雜誌編輯部《寫真 日本の軍艦 第12巻 潛水艦》(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
- 外山操《艦長たちの軍艦史》(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9