INTEC本社前停留场
INTEC本社前停留场(日语:インテック本社前停留場/いんてっくほんしゃまえていりゅうじょう Intekku-Honsha-mae teiryūjō */?)是位于富山县富山市牛岛新町,富山地方铁道富山港线的电车站。车站编号为C27。
INTEC本社前 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日语名称 | |||||||||||
インテック本社前 – いんてっくほんしゃまえ – Intec-Honsha-mae | |||||||||||
车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本富山县富山市牛岛新町5番8号 | ||||||||||
地理坐标 | 36°42′12.9″N 137°12′59.7″E / 36.703583°N 137.216583°E | ||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地面车站 | ||||||||||
月台 | 2面1线 | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 2006年(平成18年)4月29日 | ||||||||||
上车人次 统计年度 | 平均每日360[1]人次(不含下车乘客) 2019 | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
| |||||||||||
|
历史
在富山港线由富山轻轨接管之际,当初计划新设数座车站[2]。在2004年(平成16年)6月11日,富山市和富山轻轨决定在富山市牛岛新町附近新设电车站[3],并向国土交通省申请新设车站,在2005年(平成17年)2月18日获得许可[4]。在2006年(平成18年)4月29日,富山轻轨富山港线开业同时此电车站也启用[5]。在富山港线由富山轻轨接管前,富山港线的站距平均为888米,在接管后缩短至546米,因此被土居靖范评价为“乘客更方便到达电车站”[2]。
在富山港线内的共用轨道区间中,当时路面交通流量较多,避免因此而使时间表造成混乱,此电车站至奥田中学前之间区间部分路段双线化(此电车站至八田桥之间),该路段中途新设了永乐町停留场[6][7]。于2015年(平成27年)12月7日向国土交通省申请这个工程,同时向富山市批出特别准许[8][9]。最后,永乐町停留场在2021年(令和3年)3月21日启用[10]。
年表
- 2003年(平成15年)7月27日 - 富山市议会建设委员会发表报告,指出富山港线在电车化时,电车站与电车站之间的里程应间距约600米[2]。
- 2004年(平成16年)6月11日 - 富山市和富山轻轨决定在包含牛岛新町之内4处新设电车站[3]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)4月29日 - 富山轻轨富山港线电车站启用[5]。
- 2007年(平成19年)9月18日 - 富山市议会建设常任委员会表示此电车站至奥田中学前站之间会新设电车站,电车站将会建设在八田桥和永乐町路口之间[15]。
- 2015年(平成27年)
- 2020年(令和2年)2月22日 - 随着富山轻轨被富山地方铁道收费合并,成为富山地方铁道的电车站[19][20]。
电车站构造
站台为低地板,站台上设有上盖[22]。在富山轻轨富山港线各车站中,站台上盖墙身被称为“个性化墙”,墙身会展示该车站的周边文化和历史。此电车站站台墙身是由上野博之设计,内容为富岩运河环水公园的主题[23]。此电车站站台墙身由富山第一银行赞助[23]。
站台
站台 | 线路 | 方向 |
---|---|---|
1 | ■富山港线 | 岩濑滨方向 |
2 | 富山站方向 |
-
电车站外观(2018年1月)
-
电车站内(2018年1月)
使用状况
年度 | 1日平均 上下车人次 |
---|---|
2013年 | 150 |
2014年 | 162 |
2015年 | 260 |
2016年 | 393 |
2017年 | 351 |
2018年 | 360 |
电车站周边
相邻电车站
- 富山地方铁道
- ■富山港线
- 富山站(C15)-橡树运河公园酒店富山前(C26)(岩濑滨方向单向停靠)-INTEC本社前(C27)-龙谷富山高校前(永乐町)(C28)
- 在2020年3月21日前,在富山站一方曾经设有富山站北停留场。
注脚
- ^ 富山県 駅乗降客数. [2021年4月19日]. (原始内容存档于2021年3月5日) (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 土居靖范、“JR富山港线のLRT転换と课题(上)”,《立命馆経営学》第43卷6号所收,2005年(平成17年)3月,立命馆大学
- ^ 3.0 3.1 “富山港线の有轨电车化 4カ所に新駅设置 犬岛新町・千代田町・永楽町・牛岛新町 富山市など国交省と调整”,《北日本新闻》(1面)2004年(平成16年)6月12日,北日本新闻社
- ^ 4.0 4.1 “LRT工事を认可 国土交通省が森市长に”,《富山新闻》(4面),2005年(平成17年)2月19日,富山新闻社
- ^ 5.0 5.1 今尾惠介监修,《日本铁道旅行地図帐 全线・全駅・全廃线 6号》(35页),2008年(平成20年)10月,新潮社
- ^ 平成28年度 富山市の重点事业 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 富山市
- ^ 永楽町に新电停 富山ライトレール (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2014年(平成26年)1月7日,北日本新闻社
- ^ 8.0 8.1 19年度完了へ计画认定 富山駅南北接続 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2015年(平成27年)12月4日,北日本新闻社
- ^ 9.0 9.1 国土交通省铁道局编,《平成29年度 铁道要覧》(218和219页),2017年(平成29年)9月,电气车研究会、铁道图书刊行会
- ^ 八田桥(富山市永楽町~牛岛新町 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2016年(平成28年)5月16日,北日本新闻社
- ^ “新停留所の命名権、1500万円で贩売 富山ライトレール”,《富山新闻》(30面),2005年(平成17年)10月4日,富山新闻社
- ^ 12.0 12.1 “新设の电停名と车両爱称决まる 富山ライトレール”,《朝日新闻》(富山全县1地方、31面),2005年(平成17年)12月3日,朝日新闻社
- ^ 13.0 13.1 “富山ライトレールが2社に电停命名権 インテックと大阪屋ショップ 车両爱称はポートラム”,《富山新闻》(19面),2005年(平成17年)12月3日,富山新闻社
- ^ 14.0 14.1 “富山ライトレール 车両爱称は“ポートラム” 电停5カ所も名称决定”,《北日本新闻》(1面),2005年(j平成17年)12月3日,北日本新闻社
- ^ “ライトレールの新电停、八田桥と永楽町交差点の间 富山市议会委”,《富山新闻》(4面),2007年(平成19年)9月19日,富山新闻社
- ^ 富山市、富山地方铁道株式会社及び富山ライトレール株式会社からの轨道发送高度化実施计画の変更认定申请事案に系る审议(第1回) (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 国土交通省
- ^ 事案一覧表 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2015年(平成27年)10月27日,国土交通省铁道局
- ^ 运输审议会、富山ライトレールの富山駅乘入れなど軽微认定…2020年3月开业へ (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 2015年(平成27年)11月24日,Response.
- ^ 富山ライトレール、2月22日に富山地鉄が吸収合併. 日本経済新闻. 2020-02-21 [2020-02-22]. (原始内容存档于2020-02-22) (日语).
- ^ 富山駅南・北の路面電車 20年3月21日に接続 運賃210円. 日本経済新闻. 2019-10-01 [2020-02-22]. (原始内容存档于2019-10-05) (日语).
- ^ 川岛令三编,《中部ライン 全线・全駅・全配线第7巻 富山・糸鱼川・黒部エリア》(18和84页),2010年(平成22年)10月,讲谈社
- ^ 室哲雄,“日本初の本格的なLRTの导入・その成果と今后の展开――富山県富山市――”,《IATSS review》第34卷2号所收,2009年(平成21年)8月,国际交通安全学会
- ^ 23.0 23.1 富山市监修・富山ライトレール记录志编集委员会编,《富山ライトレールの诞生 日本的本格的LRTによるコンパクトなまちづくり》(87页),2007年(平成19年)9月,富山市
- ^ 国土数値情报(駅别乘降客数データ)2011-2015年 (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 不同站的上落人次地图 ,2019年9月4日参阅
- ^ 国土数値情报 駅别乘降客数データ (页面存档备份,存于互联网档案馆)(日语) - 国土交通省,2020年9月15日参阅
相关条目
维基共享资源中相关的多媒体资源:INTEC本社前停留场
外部链接
- INTEC本社前站 时间表PDF(日语) - 富山地方铁道