吳蘭室(1590年—1658年),吳姓,童名乙美金。號蘭室。是琉球國第二尚氏王朝尚豐王嬪御,封夫人眞南風按司(日語:眞南風按司,まふぇーあじ。

概要

吳夫人出身泊村士族吳氏,泊村吳氏之元祖為吳弘肇泊里主宗重),她是吳氏大宗家(吳氏我那霸家)五世吳國卿幸地親方宗廣)長女。崇禎三年(1630年),父親成為三司官座敷,翌年嫁給尚豐王為夫人となった[1]。その時點で既に高齢であったためか、尚豐王との間に子供ができなかった。そのため、向氏嘉味田殿內の分家筋、屋良按司朝久次男の新田親雲上(富茂昌・後の新田親方)を猶子として自分の家督を継がせた[2]。最終的には、王府の命により幸地親雲上宗冨(真南風按司の弟)が姉である真南風按司の跡目となり、新田親方がその猶子となった。おそらく男子が居なかった幸地親雲上宗冨の家統継承問題を円満に解決するためであったと推測できる。

真南風按司を立ち口とした家(現仲地家)は17世紀末に系図座が設けられた際に吳姓を賜る。墓は末吉墓、位牌は首里大中の仲地家(現鳥堀)に安置。 -->

家族表

  • 祖父:吳天澤・我那覇親方宗昌(吳氏我那覇殿內四世)
  • 祖母:封氏我那覇親方助元之女・乙益美
    • 父:吳國卿・幸地親方宗廣吳氏我那覇殿內三世)
    • 母:思乙(安谷屋女、號梅室)
      • 兄(長男):吳郡尹・我那覇親雲上宗知(1589~1651年)(內室為敖氏嶋尻中城親雲上將兼女思乙金)
      • 妹(次女):眞鶴(萬曆二十三年出生、嫁與解氏本部里之子親雲上宗常)
      • 妹(三女):眞牛(萬曆二十五年〜康煕十六年)
      • 妹(四女):乙益金(萬曆二十五年出生、嫁與兪氏幸地東風平親雲上重昌)
      • 弟(次男):吳明倫・幸地親雲上宗冨(継出・姉である真南風按司の跡目)
  • 猶子:幸地親雲上宗冨

參考文獻

  1. ^ 吳姓家譜(我那覇家)存档副本. [2013-12-24]. (原始內容存檔於2013-12-24). 
  2. ^ 士族門中家譜吳姓家譜、球陽出版

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