伊號第百六十二潛艦
伊號第一六二潛水艦(いごうだいひゃくろくじゅうにせんすいかん)是日本海軍的一艘潛水艦。伊一六二型潛水艦(海大IV型)的2號艦。竣工時的艦名為伊號第六二潛水艦。
艦歷 | |
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計劃 | 大正12年度艦艇補充計畫 |
開工 | 1927年4月20日 |
下水 | 1928年11月29日 |
就役 | 1930年4月24日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
結局 | 1946年4月1日 在五島列島海域遭爆破処分 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1635噸 常備:1720噸 水中:2300噸 |
全長 | 97.70米 |
全幅 | 7.80米 |
吃水 | 4.83米 |
動力 | ラ式2號柴油機2基2軸 水上:6000馬力 水中:1800馬力 |
速力 | 水上:20.0節 水中:8.5kt |
續航距離 | 水上:10節下10800海里[1] 水中:3節下60海里 |
燃料 | 重油:230噸 |
乗員 | 58名 |
兵裝 | 40口徑十一年式12cm單裝砲1門 留式7.7mm機槍1挺 53cm魚雷發射管 艦首4門、艦尾2門 八九式魚雷14枚 Kチューブ(水中聴音機) |
備註 | 安全潛航深度:60m |
艦歷
- 1927年(昭和2年)4月20日 - 在三菱神戶造船所開工建造。
- 1928年(昭和3年)11月29日 - 下水
- 1930年(昭和5年)4月24日 - 竣工。船籍入佐世保鎮守府並編入第29潛水隊[2][3]。
- 1935年(昭和10年)10月21日 - 1936年4月期間作為預備艦[3]。
- 1939年(昭和14年)11月15日 - 作為預備艦[3]。
- 1940年(昭和15年)3月20日 - 第29潛水隊(伊61、伊62、伊64)作為在佐世保的第三預備艦[3]。
- 1941年(昭和16年)12月5日 - 編入第5潛水戰隊第29潛水隊所屬,從三亞啟航。參加馬來亞戰役[2]。
- 1942年(昭和17年)1月7日 - 從金蘭灣出港,在印度洋地區活動[2]。
- 1月31日 - 科倫坡燈塔附近擊破英國油船「Longwood」[4]。
- 1943年(昭和18年)3月10日 - 在佐世保入港。進行修理[2]。
- 1944年(昭和19年)3月25日 - 編入吳防備戰隊[2]。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 編入第6艦隊第34潛水隊,從事執行回天基地輸送任務[2][4]。
- 8月15日 - 編入第15潛水隊並迎來終戰[4]。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 在五島列島海域遭美軍爆破處分[5]。
歴代艦長
艤裝員長
- 魚住治策 少佐:1929年9月20日 - 1930年4月24日
艦長
- 魚住治策 少佐:1930年4月24日 - 1931年12月1日
- 加藤與四郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年11月15日
- 服部邦男 少佐:1932年11月15日 -
- 岡本義助 少佐:1935年5月25日 - 1935年10月21日
- (兼)大竹壽雄 少佐:1935年10月21日 - 1936年2月15日
- (兼)藤井明義 少佐:1936年2月15日 - 1936年4月10日
- 深谷惣吉 少佐:1936年4月10日 - 1936年12月1日
- 小林一 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
- 加藤良之助 中佐:1937年12月1日 -
- 西野耕三 少佐:1938年11月1日 -
- 伊豆壽市 少佐:1940年10月30日 -
- 木梨鷹一 少佐:1941年7月1日 - 1942年6月30日
- 下瀬吉郎 少佐:1942年6月30日 -
- 土居譽重 少佐:1943年5月12日 -
- 河島守 大尉:1944年4月30日 -
- 大場佐一 少佐:1944年9月5日 -
- 谷浦英男 少佐:1945年1月9日 -
腳註
參考文獻
- 雑誌「丸」編集部《ハンディ版 日本海軍艦艇寫真集19巻》潛水艦伊號、光人社、1997年。
- 勝目純也《日本海軍の潛水艦 - その系譜と戦歴全記録》大日本絵畫、2010年。
- 海軍歴史保存會《日本海軍史》第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操《艦長たちの軍艦史》光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 雑誌「丸」編集部《寫真 日本の軍艦 第12巻 潛水艦》光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8