教派神道

教派神道(きょうはしんとう)是明治時代大教院神道事務局分派獨立,受到公認的神道系宗教團體之總稱。

概要

戰前,除了1教派(伊勢神宮系的「神宮教」)脫離,最終總計13教派。1912年(明治45年),組織「連合會」,13派體制維持至戰後,所以也稱神道十三派

教派 初代・教祖 獨立公認年月
神道黑住派黑住教 黑住宗忠 1876年(明治9年)10月
神道修成派 新田邦光
神道神宮派神宮教
(→ 神宮奉齋會[1] 1899年(明治32年))
田中賴庸 1882年(明治15年)5月
神道大社派神道大社教出雲大社教 千家尊福
神道扶桑派(扶桑教 宍野半
神道實行派(實行教 柴田花守
神道神習派(神習教 芳村正秉
神道大成派(神道大成教)
(→ 1976年(昭和51年)連合會退會)
平山省齋
神道御嶽派(御嶽教 下山應助 1882年(明治15年)9月
神道本局神道大教 稻葉正邦 1886年(明治19年)1月
神理教 佐野經彥 1894年(明治27年)10月
禊教 井上正鐵
金光教 金光大神 1900年(明治33年)6月
天理教
(→ 1970年(昭和45年)連合會退會)
中山美伎 1908年(明治41年)11月

戰後,大本加入連合會,天理教・神道大成教退會,成為12派。

教派 初代・教祖 連合會加入年月
大本 出口直
出口王仁三郎
1956年(昭和31年)

腳註

  1. ^ 戰後,形成神社本廳的前身組織之一。

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