村山七郎
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村山七郎(1908年12月25日—1995年5月13日[1])是日本的语言学家。任职顺天堂大学教授、波鸿鲁尔大学客座教授、京都产业大学教授。是世界重要的阿尔泰语系权威之一,对于“日语的起源是阿尔泰语与南岛语的混合语言”这一学说有着相当重要的贡献。
村山七郎 | |
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出生 | 日本茨城县 | 1908年12月25日
逝世 | 1995年5月13日 日本 | (86岁)
学术背景 | |
母校 | 早稻田大学、柏林大学 |
学术工作 | |
研究机构 | 九州大学、京都产业大学 |
主要领域 | 语言学 |
日语写法 | |
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日语原文 | 村山 七郎 |
假名 | むらやま しちろう |
平文式罗马字 | Murayama Shichirō |
人物
1908年于茨城县出生。早稻田大学退学。并在1942年至1945年间,就读柏林大学时在尼古拉斯·鲍培的指导下学习阿尔泰语(特别是蒙古文语)、阿尔泰比较语言学。1945年,在柏林迎来战败。
著书
独立编著
- ‘漂流民の言語’(次男・村山秀世の霊にささげる)吉川弘文馆 1965年
- ‘日本語の研究方法’弘文堂、1974年
- ‘日本語の語源’弘文堂、1974年
- ‘国語学の限界’弘文堂、1975年
- ‘日本語系統の探求’大修馆书店、1978年
- ‘日本語の誕生’筑摩书房、1979年
- ‘琉球語の秘密’弘文堂、1981年
- ‘日本語の起源と語源’三一书房、1981年
- ‘日本語タミル語起源説批判’三一书房、1982年
- ‘アイヌ語の起源’三一书房、1992年
共同编著
翻译
- ‘日本語研究’(E.D.ポリワーノフ) 弘文堂 1976年
翻译监修
论文
- “古代日本語における代名詞” 言语研究 No.15 1950年
- “高句麗語資料および若干の日本語・高句麗語音韻対応”1962年(第46回 日本言语学会大会)
- “日本語及び高句麗語の数詞 -日本語系統問題によせて- ”国语学 48 1962年
- “日本語動詞活用起源についての覚え書き”和泉书院(“日本语の系统・基本论文集”所収)(初出1975年)
- Altaische Komponenten der japanischen Sprache (in Altaic Languages)1975 Budapest
- Tungusica-Japonica (in Altaische Jahrbuecher Bd. 48) 1976
脚注
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. [2022-10-03]. (原始内容存档于2022-10-07).