九条兼晴
九条兼晴(宽永18年2月6日—延宝5年11月12日,1641年3月17日—1677年12月6日),日本江户时代前期公卿,官位正二位、左大臣。九条家第二十代当主。
日语写法 | |
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日语原文 | 九条 兼晴 |
假名 | くじょう かねはる |
平文式罗马字 | Kujō Kaneharu |
日语旧字体 | 九條 兼晴 |
九条兼晴原为鹰司教平之子,被九条道房收为养子并娶其女待姬,1647年继承九条家。1677年去世,与待姬之子九条辅实继位家督,另一子二条纲平则继承二条家。
参考文献
- 野岛寿三郎编‘公卿人名大事典’日外アソシエーツ、1994年。
- 小和田哲男‘日本史诸家系図人名辞典’讲谈社、2003年。
- 久保贵子‘后水尾天皇 千年の坂も踏みわけて’ミネルヴァ书房(ミネルヴァ日本评伝选)、2008年。
- 桥本政宣编‘公家事典’吉川弘文馆、2010年。
- 五十岚公一‘近世京都画坛のネットワーク 注文主と絵师’吉川弘文馆、2010年。
- 五十岚公一‘京狩野三代 生き残りの物语 山楽・山雪・永纳と九条幸家’吉川弘文馆、2012年。
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