櫻町天皇
日本第115代天皇
櫻町天皇(日语:桜町天皇/さくらまちてんのう Sakuramachi Tennō;1720年2月8日—1750年5月28日),日本第115代天皇(1735年4月13日—1747年6月9日在位),中御門天皇第一皇子,母親是關白太政大臣近衛家熙之女近衛尚子(中和門院),幼名若宫,諱昭仁。1728年立為太子,1735年接受父皇的讓位。在他任內得到當時的將軍德川吉宗協助,恢復了許多古代的朝廷儀式,包括曾在東山天皇時期復興卻又中斷的大嘗祭,以及新嘗祭等其他的祭祀禮儀。同時,他在歌道的造詣也很高,留有出色的詩歌。由於他和聖德太子有許多共同的地方,被人稱為是「聖德太子再世」。
昭仁 | ||
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第115代天皇 | ||
在位期間: 1735年4月13日-1747年6月9日(12年57天) | ||
前任:中御門天皇 | ||
繼任:桃園天皇 | ||
櫻町天皇像(泉涌寺蔵) | ||
時代 | 江戶時代 | |
年号 | 享保 元文 延享 | |
首都 | 京都 | |
皇居 | 京都御所 | |
諱 | 昭仁 | |
幼称 | 若宮 | |
出生 | 享保五年正月一日 1720年2月8日 | |
逝世 | 寬延三年四月廿三日 1750年5月28日 (30歲) | |
陵墓 | 月輪陵 | |
父親 | 中御門天皇 | |
母親 | 近衛尚子 | |
女御 | 二條舎子(青綺門院) | |
典侍 | 姉小路定子(開明門院) | |
皇子 | 遐仁親王(母姉小路定子) | |
皇女 | 盛子內親王(母二條舎子) 智子內親王(母二條舎子) |
日語寫法 | |
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日語原文 | 桜町天皇 |
假名 | さくらまちてんのう |
平文式罗马字 | Sakuramachi Tennō |
后妃及子女
系譜
(114) 中御門天皇 | (115) 櫻町天皇 | (117) 後櫻町天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(116) 桃園天皇 | (118) 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(閑院宮)直仁親王 | 典仁親王(慶光院) | 美仁親王〔閑院宮家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(119) 光格天皇 | (120) 仁孝天皇 | (121) 孝明天皇 | (122)明治天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹司輔平 | 和宮親子內親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
在位期間年號
前任: 中御門天皇 |
日本天皇 | 繼任: 桃園天皇 |