唐招提寺
唐招提寺(日語:唐招提寺/とうしょうだいじ Tōshōdai ji),是日本律宗的總本山。位於奈良縣奈良市五條町。是中國唐代高僧鑒真和尚親手興建的盛唐建築風格寺院,所以被稱為中日友誼的寺院。已被列入日本國寶,並於1998年作為「古都奈良的文化財」的組成部分被列為世界文化遺產。
唐招提寺 | |
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金堂、講堂(左)與鼓樓(中)禮堂(右) | |
基本資訊 | |
位置 | 奈良縣奈良市五條町13-46 |
座標 | 34°40′32.1″N 135°47′5.4″E / 34.675583°N 135.784833°E |
宗教 | 日本佛教 |
宗派 | 律宗 |
本尊 | 盧舍那佛(國寶) |
功能狀態 | 總本山 |
文化遺產 | 金堂、乾漆鑑真和尚坐像等(國寶) 禮堂、絹本著色十六羅漢像等(重要文化財) 世界遺産 |
開基 | 鑒眞 |
開山時間 | 天平寶字3年(759年) |
地圖 | |
建築歷史
鑒真(688年—763年)在754年東渡日本,到平城京受到歡迎。《續日本紀》記載,天平寶字三年(759年),鑒真以朝廷賜予的新田部親王之舊宅邸建造此寺。鑒真逝世後,弟子繼承建造。弘仁元年(810年),完成[1]:84—85。寺院的金堂和講堂屬於8世紀建的古建築物,都是日本國寶。其他國寶包括鼓樓、經藏、寶藏、乾漆盧舍那佛坐像(8世紀)和乾漆鑒眞和尚坐像(8世紀)等等。
20世紀初,日本、西方學者對中國古建築進行考察,在1930年代之前未發現唐代建築。學界論及中國宋代以前的木構建築實例,以唐招提寺金堂和法隆寺五重塔為例,沒有中國的實例[2]:4。逐形成「唐代古建在奈良」的觀點。雖然中國自1937年起,確認四處唐代建築實例,但此類觀點仍影響至今。有作者指「現今許多唐代仿製建築,多為參考日本奈良時代建築,唐招提寺更是研究唐代建築的最佳文化遺產[3]」,或「是研究盛唐時代建築的重要參考範例[4]」。實際經過時代的變遷,唐招提寺金堂的建築構成早已有所變動修改。有作者將金堂與中國本土唐風建築進行比較,指兩者在屋頂坡度、斗拱比例等方面存在差別,日本唐風建築多為單栱,中國唐代建築則使用重栱,唐招提寺更接近唐代早期。[5]
歷史上,唐招提寺至少有五次大修,分別是:鎌倉時代文永七年(1270年)(然而鎌倉大修的證據在2000年開始的平成大修中並沒有被發現)、元亨三年(1323年)、江戶時代元祿六年至七年(1693年—1694年)、明治三十一年至三十二年(1898年——1899年)、平成十二年至二十一年(2000年—2009年)。元祿大修改變屋頂形態,加高2.5米之多。明治大修時改變部分梁架。1998年,唐招提寺被認定為世界文化遺產,同年,成立國寶唐招提金堂保存修理事業專門委員會。兩年後,調查結束。在奈良縣教育委員會主持下,開展為期十年的大修,即平成大修。金堂建築被完全解體,進行修繕。解體出兩萬多件木材。對部分木材進行深入研究,用年輪年代法測定採伐年代。奈良縣教育委員會在2004年公布,檢測結果表示,有三根椽子均為781年採伐[1]:85—91。
文化財產
國寶
建築物
- 金堂
- 講堂
- 鼓樓
- 經藏
- 寶藏
-
金堂
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講堂
-
鼓樓
-
經藏、寶藏
雕刻
-
乾漆盧舍那佛坐像
美術工藝品
- 舍利容器
重要文化財產
建築物
- 禮堂
- 御影堂(興福寺舊一乘院宸殿)
-
禮堂
-
御影堂
繪畫
- 絹本著色十六羅漢像
- 絹本著色大威徳明王像
- 絹本著色法華曼荼羅圖
- 紙本著色東征繪卷 蓮行筆
雕刻
- 木造彌勒如來坐像(講堂安置)
- 木造持國天・増長天立像(講堂安置)
- 木造櫥子入釋迦如來立像(禮堂安置)
- 木造地藏菩薩立像(地藏堂安置)
- 木造大悲菩薩坐像(中興堂安置)
- 木造大日如來坐像
- 木造如來形立像(頭部缺)
- 木造藥師如來立像
- 木造傳獅子吼菩薩立像
- 木造傳衆寶王菩薩立像
- 木造傳大自在菩薩立像(兩手缺)
- 木造菩薩立像(面部・左手缺)
- 木心乾漆菩薩立像 2軀
- 木造天部形立像(傳帝釋天)
- 木造如來坐像(傳釋迦如來、多寶如來)2軀
- 木造寶生如來立像
- 木造如來形坐像・地藏菩薩立像・菩薩形立像(頭部缺)・天部形立像(傳梵天)
- 木造十一面觀音立像(1900年重文指定)
- 木造十一面觀音立像(1901年重文指定、法花院舊藏)
- 木造聖徳太子立像
- 木造大威徳明王像
- 木造不動明王坐像 湛海作
- 木造吉祥天立像
- 木造行基菩薩坐像
- 木心乾漆佛頭(1902年重文指定)
- 木心乾漆佛頭(1915年重文指定)
- 木造菩薩頭
- 銅板押出三尊佛像
- 銅板押出佛像 5面
- 磚製阿彌陀如來像(傳文殊菩薩像)
工藝品
- 鼉太鼓縁(1915年重文指定)
- 鼉太鼓縁(1959年重文指定)
- 鉦鼓縁 (1915年重文指定)
- 鉦鼓縁(1929年重文指定)
- 鉦鼓縁 一對(1959年重文指定)
- 牛皮華鬘殘闕(ごひけまんざんけつ)8枚分
- 金銅金剛盤
- 金銅舍利容器
- 金銅法具類(金剛盤、五鈷鈴、獨鈷杵、三鈷杵、五鈷杵)
- 金銅法具類(火舍2、六器24、灑水器1、塗香器1)
- 金銅蓮瓣飾法具(火舍1、花瓶2、六器6、飮食器2、灑水器1、塗香器1)
- 銅香水壺
- 黒漆華盤
- 黒漆舍利櫥子
- 鑄銅三具足
- 日供舍利塔
- 法會所用具類(奚婁1口、羯鼓1口、鼓胴1口、木製楯3枚、木製柄香爐3口)
- 唐招提寺勅額
- 梵鐘
書跡・典籍、古文書
- 根本説一切有部戒經・老母六英經
- 戒律傳來記 上卷
- 四分律刪繁補闕行事鈔 卷下之三
- 大般若經 卷第176
- 大毘盧遮那成佛神變加持經
- 法華經(開結共)覺盛筆
- 四分戒本、梵網經2帖、寶篋印陀羅尼經、唯識三十頌・大乘百法名門論・般若心經 以上5帖 寶治元年書寫の奧書あり 覺盛筆
- 瑜伽師地論 卷第38
- 唐招提寺一切經 宋版4,456帖、和版88帖、寫本250帖、附 元版五部大乘經(內和版83卷寫本29卷)269卷
- 令私記斷簡(軍防令、營繕令、關市令)
- 唐招提寺文書 2卷
- 南瞻部洲大日本國正統圖(傳香寺舊藏)
後世紀念
1963年是鑒真去世一千二百年,中國和日本佛教界都舉行了大型紀念活動,日本佛教界還將該年定為「鑒真大師顯彰年」。1980年,在鄧小平的斡旋之下,唐招提寺住持森本孝順奉鑒真漆像「回鄉探親」,揚州大明寺因此得以重修,成為中日邦交史上一件大事。歷經十年繪出的國畫《鑒真東渡圖》(郭德福)在中國掀起了鑒真熱,體現了中日文化友好交流。 此外,因為各種原因,著名的鑒真坐像每年只能開放幾天,所以2013年塑造了一個1:1的複製品,在開山堂展出,向公眾開放,成為了中日友誼的見證。 [6]。
關連項目
參考資料
- ^ 1.0 1.1 蘇枕書. 《浅析中国唐代建筑艺术对日本传统建筑的影响》. 看歷史 (四川省成都市: 成都日報報業集團). 2012, (2012年第003期): 84—91 [2021-10-22]. ISSN 2095-0853. (原始內容存檔於2021-10-22) (簡體中文).
- ^ 林洙. 序 汪坦. 叩开鲁班的大门——中国营造学社史略. 中國·北京: 中國建築工業出版社. 1995-10-00. ISBN 7112026199 (繁體中文).[失效連結]
- ^ 編撰者:釋照量. 唐招提寺對日本文化的影響. 《鑑真大和上——天平之甍》. 臺灣: 慈濟傳播人文志業基金會. 2020-11-00 [2021-10-22]. ISBN 9789865726973. (原始內容存檔於2021-10-22) (繁體中文).
- ^ 楊正福主編. 2.保护内容的一致性——古城内丰富的物质和非物质文化遗产. 《扬州与世界名城比较研究》. 江蘇省南京市: 東南大學出版社. 2014-03-00 [2021-10-22]. ISBN 9787564140502. (原始內容存檔於2021-10-22) (簡體中文).
- ^ 張彰. 《聂隐娘》里的日本外景为什么无法体现晚唐气象?. 澎湃新聞. 2015-08-30 [2021-10-22]. (原始內容存檔於2021-10-25) (簡體中文).
- ^ 郭德福十年绘出《鉴真东渡图》. [2018-02-03]. (原始內容存檔於2018-02-03).
- 書目
- 『週刊朝日百科 日本の國寶6號 唐招提寺』、朝日新聞社、1997
- 『特別展図録 國寶 鑑真和上展』、奈良國立博物館監修、TBS発行、2009
- 內田, 啓一, 文観房弘真と美術, 法藏館, 2006, ISBN 978-4831876393
- 大橋一章・片岡直樹編著『唐招提寺 - 美術史研究の歩み - 』、里文出版、2016
- 大橋一章「唐招提寺の創立」
- 林南壽「鑑真の渡日」
- 森美智代「創建期の戒壇設営と所在地」
- 竹田慈子「鑑真和上像の製作と背景」
- 片岡直樹「創建期の唐招提寺伽藍と金堂三像」
- 上杉義麿「鑑真和上と律宗の伝來」
- 『月刊文化財』554(特集 唐招提寺金堂 - 平成の大修理)、第一法規、2009
- 光谷拓実「年輪年代測定調査」
- 奧健夫「保存修理による新知見」(pp.52 - 53)
- 神田雅章「保存修理の內容」(pp.48- 51)
- 奈良文化財研究所編 『奈良の寺』、岩波新書、2003
- 鷲塚泰光「唐招提寺の美術と歴史」
- 細川涼一「中世唐招提寺の復興と覚盛・慶円」
- 堀池, 春峰, 唐招提寺, 改訂新版世界大百科事典, 平凡社, 2007